民俗学者、柳田國男は「ハレ」と「ケ」を唱えた。「ハレ」とは晴々しい祭り、イベントなどの非日常的な場を言い、「ケ」とは普段の日常的な場を言う。学生時代に教えを受けた。 つまり、都市空間にも二面性が求められ、私たちは空間利用の多様なニーズに対応していかねばならない。
その代表が公園であり、公園は「ハレ」の空間と言える。スポーツ、祭り、遊びなどの日常利用の場とされ、住民の歓声がこだまする。正に公園は「平和なハレ舞台」だ。 しかしながら、ひとたび地震・火災・台風などの襲来があった場合、公園の利用は一変する。そこは住民の避難場・生活場・救援組織基地・防災拠点の場として利用される。その頻度は近年の災害多発の状況を鑑みれば、高まっている。これは「非日常的な利用」でありながら「ケ」の空間と言って良い。つまり、柳田の指摘する「ハレ」と「ケ」の意味とは相反する。
災害時における公園の防災効果は関東大震災をきっかけに注目され、今日まで鋭意研究が進められて来た。しかし現実的に、日本人の防災に対する意識は、災害に遭うまでの動きは鈍いが、被災後の迅速な復旧・復興力は世界一と言って良い。長崎原爆が投下され、一週間後には長崎県庁の技術者は復興都市計画案を策定し、夜行列車で上京したと聞いた。
阪神・淡路大震災時には倒壊した阪神高速道路を撤去するために、ゼネコンが自主的に巨大なカニバサミを持つ重機を稼働させ、瞬く間に残骸瓦礫を撤去し、道路を復興した。このような復旧復興力は極めて高く、しかも金銭の投資は惜しまない。しかし、防災・縮災に対する官の先行投資は極めて低いと言えまいか。
こんな経験をした。西宮市仁川百合野町が地滑りで10万㎥の土砂が崩落し、34名の死傷者を出し、兵庫県から崩落土の処分地として六甲山系の甲山公園を指定され、その造成図を描けと命じられた。人命を奪った崩落土で公園の修景に配慮した図面を描くとは夢にも思わなかったが、緊急事態ゆえに描いた。
「ハレ」と「ケ」を同時に経験したのだが、被災時には、公園の「ハレ」と「ケ」の可視化が求められよう。繰り返すが「ハレ」は、私たちは日常的に目にし、空間を利用して楽しむもので、誰にでもわかる。ところが「ケ」は、緊急時の利用ゆえにわかり辛い。
つまり、普段は普通の公園だが、そこに防災機能が潜むという考えである。わかり易く言えばグラウンドは避難場・遊水地(写真1・2)、池は貯水池、トイレは備蓄庫、植栽は防火林と言う風に、空間には二つの機能を持つことを知らしめることだ。
東日本大震災の調査で、仙台海浜地区公園の遊具が丘の上に設置され、普段は子どもで賑わう「ハレ」の空間だが、被災時に津波が遊具基礎部の足元まで押し寄せ、公園職員が遊具にしがみつき、一命を取り留めた(写真-3)。
兵庫県の三木総合防災公園は一見運動公園だが、競技場のスタンド下には広大な備蓄倉庫・救援器具格納庫などが潜む。しかし、見た目にはわからない。望まれるのは、こうした空間機能の可視化である。看板などで避難路を説明しても、利用者にどれほど理解してもらえるかである。
本稿執筆中、2020年3月のわが国は、新型コロナウイルスが蔓延し、学校は臨時休校となり、公園は溢れるばかりの子ども達で賑わっていた。これこそ「ハレ」の空間である。ここに大震災が直撃すればどのように変わるのか、その場合の公園の機能、すなわち「ケ」の空間となった場合の施設、機能、情報は内蔵しておかねばならない。そして利用者にわかり易くしておかねばならない。
効果的なのは音声案内ではないか。緊急時に住民は慌てて避難するが、説明板を見る余裕はないはずだ。そこで、音量の高い音声で避難場、避難ルートなどが自動的に放送されるよう、まちなかに組み込むのである。監視カメラと一体的に整備したらどうか。ここにIT、AIの導入が望まれる。
写真-1・2 深北緑地公園事務所の提供
写真-3 撮影中橋 2011年5月
NPO法人国際造園研究センター 中橋 文夫