足元掘れば泉湧く

2020年4月27日

 わが国は防災を包括したまちづくりを目指して、日々インフラ整備に邁進する。東日本大震災の復興現場を概観すれば、高台移転、防潮堤整備などに巨額が投じられている。「津波の巨大なモーメントを土木技術」で対応しようとする考えだ。一方では「いなし」や「さばき」の構造が指摘され、大阪府ではいち早く、1982年に多目的遊水地「深北緑地」を一部開設し、寝屋川の氾濫から府民を守っている。

 しかしながら、全国に数千は必要と聞く砂防ダムの整備は遅々として進ず、土砂災害の危険地域は野放しに近い。課題は事業費の予算措置が伴わないからだ。とりわけ、近年の災害特徴である線上降雨帯の集中豪雨による河川の洪水、土砂災害の被害増大に備えて行かねばならない。

 これは、危険地域に人が住むからだ。2014年の広島市安佐南区の土砂災害は、かつての市街化調整区域を広島市の人口増大を理由に、市街化区域に組み入れ開発を許し、そこを土砂災害が直撃し46名の死者行方不明者を出した。これは明らかに人災である。その後、現場を調査すると巨大な砂防ダムが造られていた。やはり「力技の土木技術」が貫かれていたのである。

 興味深いのは佐賀県神埼市を流れる城原川の「野越」である。川がしばしば氾濫するので江戸時代、佐賀藩の治水事業に貢献した鍋島家家老「成富兵庫茂安」は堤防の天端を切り下げ、増水時に堤外への自然排水を試み、その機能は今日に続く(写真-1)。


写真-1 堤防の天端が切り下げられた野越

 しかし近年、上流部の新興住民が堤防より溢れ出る光景に驚き、水害の危機を県に訴えたところ、国は治水ダムの整備に動き、下流域は伝統の治水機能の安全性を主張するためにダム不要を唱え、今も対立が続く。しかし300年に近い治水の歴史は評価されよう。

 宮城県岩沼町は、東日本大震災被災の巨大津波に襲われ、市街地の道路、建物、造成地などが地図から消えた。その結果、現場に昔の地形が露出した。どのような意味かと言うと、津波にさらわれたのは新たに造られた新市街地で、饅頭に例えれば「皮」に当たり、露出した昔の地形が「あんこ」で、津波が「皮」を剥ぎ取ったのである。

 つまり津波は、大地の芯まで侵すことが出来なかったのだ。しばらくすると、露出した「あんこ」に植生が芽生えた。これは人の助けによらず、自然に萌芽したものである。シイ、カシ、コナラの類で自然の生命力に驚く。これは埋土種子が太陽光を浴びて、休眠から目覚め、発芽したものと考えられる。調査された東京大学名誉教授の石川幹子氏はこのような自然再生力をレジリエンスと呼び、普及に努めている。

 こうした自然現象を社会資本整備に取り入れられた事例は、1983年、大阪府箕面川ダムの斜面緑地の再生である。2haほどの斜面に取り入れられた。37年経つが、今日現場に行くと、先駆性植生で斜面は覆われ、周辺の樹林地と区別がつかなくなっている。これは植樹ではなく、斜面に竹で柵を編み、平地を作り、そこに埋土種子を撒きだすと増殖機能が復活する生態工学の応用で、植樹が「外科的療法」であれば、埋土種子工法は「内科的療法」と言える。最大のメリットは潜在自然植生の活用と事業費の抑制である。


写真-2  埋土種子による再生緑地

 これこそ、大地に眠る資源を掘り起こす技で、今後は、こうした自然の持つ力と、今日の力技に依る近代工法を併用したハイブリッドな工法の開発が望まれる。大阪府は本格的な埋土種子緑化の先駆けで、わが国の自然再生技術の道筋をつけたのである。

 蛇足だが、こうした現場に学生を引率すると関心を深め、日本気象協会、建設コンサルタントの職についてくれたのは嬉しかった。

写真-1 撮影 中橋 2017年3月
写真-2 大阪府(2000)「箕面川ダムにおける自然回復の状況調査」撮影:梅原徹

公立鳥取環境大学 中橋 文夫

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