NPO法人国際造園研究センター主催の関西みどり探訪で豊中市を「ぶらみどり」した時に面白い橋を見つけました。
細長い公園をコンクリートアーチの橋が横切っています。
橋名板によれば名前は「延命橋(えんめいばし)」。東光院の門前にあります。
東光院は創建以来1200年以上の歴史を持つ曹洞宗別格地寺院で、「萩の寺」として知られています。
延命橋は東光院の参道になっています。
それでは橋の下の公園はというと、名前はそのものずばり「萩の寺公園」。
橋より東の区域には遊具があり、西の区域の真ん中にはクスノキの大木が生えています。
周辺は閑静な住宅街ですが、公園の西側は道路を挟んで阪急電車の宝塚線が通っています。
このアーチの橋と公園の関係が気になったので、少し調べてみました。
大阪府発行の「大阪府都市公園一覧表」によれば、萩の寺公園の開設は昭和41年、面積は0.45haとなっています。
地形を確認すると、東西に細長い公園と、さらに東の方向が周辺部よりも少し低くなっています。浅い谷筋の地形です。ここは以前、川か池だったのではないかと推測できます。
案の定、東光院のHPに昔の橋の写真が掲載されていました。
説明文には「門前の萩の寺公園は、もとは蛇喰池(じゃはみいけ)と呼ばれた荒蕪地でした。この池に掛かる延命橋は、阪急電車レール二本を用いて東光院が架けたもので、曽根駅からの参道となっていました。池は公園となりましたが、三代目の橋が今も門前に架かっています。」とあります。
池を埋め立てて公園が造られたことが分かりました。
しかし面白いことも分かります。橋は「阪急電車のレール二本を用いて東光院が架けた」という事実です。
何故、阪急電車のレールが使われたのでしょう?阪急と関係があるのでしょうか?
東光院のHPによれば、行基創建時のお寺の場所は「豊崎」でした。
「古くから死人が出ると淀川河畔に捨ててしまう風習があり、「浜の墓」とも呼ばれていました」。行基がこの地を訪れた時、「浜に風葬されている光景を見て、民衆に我国で初めて火葬の方法を伝授」し、「荼毘に付した死者の霊をなぐさめるため、自ら一体の薬師如来像を造り、その仏前に淀川水系に群生する萩を手折り供えました。それを縁に人々の浄財で薬師堂を建立したのが東光院の始まり」とのことです。
東光院が豊崎から豊中に移ったのは、大正元年のことです。
宝塚線が開通し、沿線の宅地開発が進む中、「地域の繁栄を願う小林一三(こばやしいちぞう)翁の肝煎りで、別院があった豊中・曽根に寺基を移転」しています。「町の核として有力な寺院を設置し、寺を精神的なよりどころとして住民の連帯感と沿線への愛着心を高めようという、一三翁の町づくり構想に基づく招聘」とのことです。
行基による創建は、行基68歳の時と言いますから735年頃、大正元年は1911年ですから1175年間、豊崎で栄えた後の実に思い切った寺院の移転です。沿線の積極的な開発により鉄道事業を発展させた阪急の創始者小林一三の力は並大抵のものではありません。
さらに、「当山を含む7つの社寺と阪急電鉄とで阪急七福神会を結成、協力して発足したのが「沿線七福神集印巡り」です」とありますから、小林の沿線の活性化にかける努力は我われの想像を越えています。
阪急が延命橋の架橋にレールを提供したのも頷けます。
さて本題の萩の寺公園です。
ここは、かつて「蛇喰池」と呼ばれる池だったようです。
「へびくいいけ」ではなく「じゃはみいけ」又は「じゃはみがいけ」と読みます。
それ以前は「蛇喰谷」と呼ばれ川が流れていました。
宝塚線を通したため、せき止められて池になったもののようです。
阪急電鉄宝塚線(旧箕面有馬電気軌道)は明治43年(1910年)に開通していますから、その頃に池が出来たと考えられます。
門前の池はお寺の風情を高める演出にも効果的だったでしょう。橋名にもご利益の予感が表れています。
公園は昭和36年12月25日に児童公園として都市計画決定されました。事業認可も同日に告示されています。開設は昭和41年10月1日のことです。
当時は高度経済成長の始まったころで、昭和31年4月に都市公園法が定められ、社会資本としての都市公園の重要性が認識され始めた時期です。
急激に変化する都市の諸課題に対応するため、現在の都市計画法が出来たのも昭和43年6月です。
公園の候補地として、ため池は有効でした。大阪平野には多くの灌漑用ため池が点在していたため、ほとんどの市町村において都市計画公園の候補地になりました。灌漑用としての役割を終えたため池は順次、都市公園として生まれ変わっていきます。
萩の寺公園も比較的早い時期に、規模の大きな児童公園として誕生しました。
私が見た2019年11月20日の時点では、西側部分の改修工事が行われていました。これは社会資本総合整備計画に基づく社会資本整備総合交付金を活用して豊中市が整備しているものです。
豊中市では近い将来、開設後30年以上経過する公園が全体の半数を占めるという課題に対し、一斉に老朽化を迎える公園施設の安全・安心のためにも「公園施設長寿命化計画」に基づいて、効率的・効果的な公園施設の改築・更新を進め、快適な公園・緑地づくりを推進しているということです
子供が遊んでいない街区公園も増えています。貴重な都市のみどり空間を存続させ活用することは喫緊の課題です。
萩の寺公園も、もっと利用されてよい公園です。アーチの下は目が行き届きにくい場所ではありますが、日かげでもあり天気に影響されない空間です。雨などの影響を気にせず地域に貢献できるイベントを計画すればいいかなと思いました。
(大槻憲章 特定非営利活動法人国際造園研究センター)