千曲川と聞けば、歌の題名しか知らなかった筆者だが、昨年の台風19号に被災し、テレビニュースで破堤現場から激流が市街地を襲い(図-1・写-1~3)、家屋が孤立して住人が救いを求める光景を見た。あの大河が洪水に遭うとは。佐賀水害の調査に行った直後ゆえ、今度は信州かと、まさにわが国は豪雨列島の兆しだ。
「線状降雨帯」という用語は、広島市安佐南区の土砂災害時に初めて聞き、その後、九州北部豪雨、岡山県倉敷市真備町豪雨と続き、その都度、広島・福岡・大分に飛んだ。福岡出身の女子ゼミ生を連れて行くと、仇討のように卒論を書き、勢いで日本気象協会に入ってくれた。
少しカレンダーを遡ると、東日本大震災・長崎大水害・信玄堤・熊本大地震・糸魚川大火・鳥取中部地震被災地などの現場に立っていた。この手の研究は現場に行かない限り、講義できないからだ。目的は緑の「柔靭化」構造を明らかにすることであったが、これが難しい。造園領域では「長らくありえない」と片付けられていたからだ。辛うじて関東大震災、阪神淡路大震災の大火がきっかけとなって樹木の防火機能が研究されたぐらいである。こうした放浪記を書いていると、ゼミ生が興味を持ち鳥取大水害の研究を進めてくれた。
潮目が大きく変わったのは、都市緑化機構の機関誌119号に「暴風・豪雨災害に適応した都市緑化技術」が組まれ、緑の構造力学に踏み込んだ研究が掲載されたことだ。渇望していた研究の登場に胸が躍った。防災との関りを振り返ると、人との出会いが次の世代に伝えてくれることになったと言える。
千曲川の被災状況を簡単に報告する。JR長野駅に着いたのは2019年11月29日、駅前からタクシーで現場に向かった。駅前界隈は、水害などはどこ吹く風と思っていたら、アップルロード(国道153号線)を千曲川に向かうと、建物に泥がこびりつき、農機具車が放置され、川沿いの家屋は開口部や壁が壊され(写-4)、ボランティアの方々が作業をされていた(写-5)。家屋に溜まった泥を人力で掻き出し、バックホウが唸りを上げてそれを畑に積み上げていた(写-6)。
川沿いにリンゴ畑が広がり、驚いたのは、千曲川の堤防に立つと、河川敷内にもリンゴ畑が広がっていたことだ(写真-7)。川幅は500m程あっただろうか。中ほどに普段の千曲川の流れがあり、
両サイドは河川敷、そこがリンゴ畑である。河川敷の植栽は厳禁と学校で習ったが。無残にも幹が割かれ、ゴミが枝にからまり放置され、リンゴの実は落下し(写-8)、保冷庫のリンゴを片付ける子どもの光景が傷ましい(写-9)。
破堤現場は復旧工事が竣工近く、その全容を見た。破堤現場の距離は70m程度か、土の堤防であったが現場は鋼矢板、張ブロックで強固に固められ、次の災害に備えられていた(写-10・11)。残念ながら、ここには緑の防災機能は見ることは出来なかった。
歴史を辿れば山梨県の富士川の万力林(写真-12)、佐賀平野の城原川の野越(写真-13)などは江戸時代から今日に続く治水技術として機能している。滋賀県の愛知川には河畔林が発達し、氾濫を防いできた。
こうした技術は温故知新だが、科学的ではないということから否定されているのではないか。せめて実験施設を造り研究を深め、若手研究者が育つ環境を整えて頂きたいところである。これは国の役目でもあろう。
NPO法人国際造園研究センター 中橋 文夫
参考文献
図-1、写-1・2・3・5・9・ 信濃毎日新聞 2019年10月12~20日 信濃毎日新聞社
写-10 信濃毎日新聞社 2019・10「台風19号」長野県災害の記録裏表紙
写-4・6・7・8・11・12・13 中橋撮影