公園の栄枯盛衰を考える

2020年3月31日

 「おごれる平家久しからず」は、源氏と平家の歴史を指し、栄枯盛衰を意味する。わが国は先の大戦から奇跡の復活を果たし、3回のオリンピック(*1)、7回の国際博覧会(*2)を開催し、GDP世界三位の経済大国にのし上がった。今また、オリンピックと国際博覧会を開催しようとしている。(*3)

 並行して都市のオープンスペースである公園は、明治の太政官布達以来、整備された面積は約12万haに及ぶ。その間、整備速度の緩急はあったものの、拡大路線を歩んだ。ところが、1996年の第六次都市公園整備計画終了後、公園は整備から管理に舵が切られ、今日では利用運営が喫緊の課題である。 

 こうした公園緑地を巡る社会環境は、市街地の拡大と利用運営の多様化が課題であったが、整備の速度は鈍ったと言って良い。加えて今日の人口減少が都市の縮減化を招き、都市の中心市街地には空き家と駐車場が急増した。

 このような社会趨勢から、都市は明らかに縮小化に向かっている。こうなれば、公園もその煽りを受け、規模縮小は避けられない。案の定、利用勝手の悪い公園は用途変更を求められ、閉園後は商業施設などに姿を変えている。これが現実だ。

 人口減少は社会資本の維持負担にバイアスがかかり、使われない住宅地、学校などの公共施設が増え、公園も然りである。こう考えると公園は衰退の道を辿るのだろうか。ここで考えなければならないのは、公園は都市が縮小しようとも、比例配分のように減少するとは考えないことだ。

 つまり、公園は不特定利用とすることから、学校の閉校のように一切の利用が断たれない。換言すれば、創意工夫により公園利用者を遠方より引き寄せることが出来る。指定管理者制度の導入が鍵を握ろう。それと公園の利用を資源循環社会の拠点、地域防災の拠点、芸術・スポーツ活動の拠点などとし、地域の生活・安心・安全創造の場として、多様性を持たせることだ。

 つまり公園は、従来の都市公園法に捉われるのではなく、時代のニーズに叶った社会の受け皿として機能を改めていかねばならない。その場合、公園は「万民の利用」ということを知るべきだ。特に老若男女のバランスの取れた利用が望まれる。然るに集客性を高めるならば商業・娯楽・飲食施設を増やし、若者を引き付ける方法が横行している(写真-1)はずだ。

写真-1 商業施設で賑わう大阪城公園

そうすればシニア利用に支障が出る。ここには静寂な芝生、花壇が望まれ、セントラルパークのシープメドーのような、多目的利用の芝生地が必要となろう(写真-2)。

写真-2 初冬のシープメドー

 例えわが国の人口が半減しても現在のイギリスと変わらず、世界の都市総合力ランキングで8年連続世界一の都市はロンドンであり、同調査で3位の東京も、レベルの高い社会資本整備が進められれば、公園も生き永らえる。

 人口減少に伴い、利用率が低下した市街地の公園には生活支援施設を組み込むことだ。近くに商業施設が無い地域には、公園が移動コンビニの拠点になれば良い。ターミナル近くの公園には、マックやユニクロがあっても良いのではないか。公園に関心の薄い老若男女がやって来ても、それがきっかけで公園のファンになってくれよう。

 このように、公園は知恵を注げば魅力が変わる。例え都市が栄枯盛衰の波に呑まれようとも打つ手はある。人生100年時代を迎え、元気な高齢者にはパークリーダになってもらい、公園の施設管理、遊びの指導などを担って頂き、コミュニティ形成の貢献を期待する。いわば公園を、地域のロビーのような空間に改めて行くのである。

注記
(*1)夏季東京オリンピック(1964年)、冬季札幌オリンピック(1972年)、冬季長野オリンピック(1998年 )
(*2)日本万国博覧会(大阪万博・1970年)、沖縄国際海洋博覧会(1975年)、国際技術博覧会(筑波博・1985年)、国際花と緑の博覧会(大阪花博・1990年)、ジャパンフローラ2000(淡路花博・2000年)、静岡国際園芸博覧会(浜名湖花博・2004年)、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)、2
(*3)夏季東京オリンピック(2021年予定)、2025年日本国際博覧会(関西・大阪万博2025年予定)
                                    
写真-1 撮影 黒田寛太 2019年8月     
写真-2 撮影 中橋    2003年11月

公立鳥取環境大学  中橋 文夫

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